生きるとは、死へ向かっての行進なのか
「生きるとは」について、考察しています。
「生きる」とは、「生きてゆく」ということです。どこかへ向かって、「生きてゆく」。
昨日から今日、今日から明日へ。去年から今年、今年から来年へ。
一箇所にとどまることは、できません。光陰矢のごとしで、どんどん進んでいきます。
一休和尚は、女性の人生を、
「世の中の、娘が嫁と花咲いて、嬶としぼんで、婆と散りゆく」 と歌いました。
娘→嫁→嬶→婆→死(散る) どんな人も、同じコースをたどります。
男性も呼び名が違うだけで、同じです。何億人いても例外なしです。
昨日、NHKスペシャルを見たら、「ONの時代 第2回スーパーヒーロー 終わりなき闘い」
というのをやっていました。王、長嶋、といえば、野球選手として超一流で、成功者の
中の成功者と言えるのではないでしょうか。ところが、番組では、知られざる二人の50年の
苦悩が、生々しく告白されていました。 そして、今なお、老いや病の苦しみと闘い続けて
いる姿が映されており、若かりし頃とのギャップに、人生のなんともいえない寂しさを感じず
にはおれませんでした。
どんな人の人生も、苦しみ、悩み、不安や心配の連続ではないでしょうか。
そして、最後は、必ず死んでいく。
もし、これだけが人生とするなら、「生きる」とは、「苦しみ」であり、死へ向かっての行進に
ほかなりません。 さっさと自殺する人のほうが賢いことになってしまいます。生きれば生きる
ほど、苦しまねばなりません。
私たちは、苦しむために生まれてきたのか、生きているのか。
そんなバカなことはありません。
幸福になるために生きています。
「人間に生まれてきてよかった!」
「この幸せになるための人生だったのか!」
という生命の歓喜をうることこそが、生きる目的なのだよ、と、
親鸞聖人は90年の生涯、教え続けられたのです。