なぜ人を殺してはいけないのか?
実はこの問いは、ひじょうに奥が深い。
「そんなの、あたりまえじゃん」 という人がほとんどだろう。
そして、こんなことを尋ねる人を、「おかしな人」 と思う。
では、そんな人に、どうして人を殺してはいけないのか、理由を言ってみて、
と、尋ねてみると、次のような答えが返ってくるでしょう。
「刑務所に入れられるから」
「あんたも殺されたくないでしょ?」
「殺された人の家族が悲しむでしょ」
「殺した者の家族も、たいへんじゃないですか」
浅いモノの見方しかできない人は、たいていこういった類の答えだ。
しかし、これでは、答えになっていないのだ。
たとえば、「刑務所に入れられるから」 はどうだろう。
「どうして刑務所に入れられるのか?」
「そういう法律があるから」
「では、誰がそんな法律作ったのか?」
「国民の代表である国会議員が作りました」
「彼らはどうしてそんな法律作ったのか?」
「人命は地球よりも重いからです」
「なぜ人命は地球よりも重いのか?大切なのか?」
「………」
「なぜ人を殺してはいけないのか?」 とは、
「なぜ人命は地球より重いのか?」 という、問いだったのですね。
これには、何千冊の哲学書を読んでも、答えることができないでしょう。
生きるとは、地球より重い、尊い、崇高な人生の目的を果たすため、
絶対の幸福になるため、と、ハッキリ知らされている親鸞学徒だけ
しか、回答できません。
浄土真宗親鸞会で、絶対の幸福とは何か、聞いてみてください。
親鸞会では、親鸞聖人の本当の教えが説かれています。
人生80年と言われます。
日本の平均寿命は大きく80歳を超え、定年退職して老後と言われる年代になっても20年以上生きる世の中になりました。
昔の人に比べて、長く生きるわけですからその分だけ幸せになったのでしょうか。
一日でも長く生きたいと誰もが思っていますが、長く生きられる世の中になってみんな幸せを感じているでしょうか。
現状を振り返ってみると、どうもそうとは言い切れないようです。
若者は将来に対する不安を抱え、大人は子供の未来を憂え、老後を迎えた高齢者は生活苦に悩んでいます。
長く生きたいと願うのに、実際は生きるのが辛いと感じることばかり・・・。
こうした矛盾のウラには、生きる意味について答えを見出せずにいるからではないでしょうか。
幸せについて、生きる意味、人生の目的。
今の世の中は時間に追われて、日々生き延びるのに精一杯と感じている人が多いと聞きます。
「生きる意味なんて考えている時間は無い」と。
本当は逆なのでは無いでしょうか。
生きる意味を知らずに生きているのは意味がない。その先に待っているのは、死だけ。
人は一日生きるたびに死に一日近づいているという事実を見てみぬ振りしているようです。
でも生きるということは、死に近づくということに他なりません。
人生とは死までの道程なのです。
まず生きる意味があって、日々の生活があるということです。生きる意味をないがしろにしたまま生きる先には、死の暗闇が待つばかりです。
親鸞会のホームページには生きる意味のヒントがあります。
生きているという今を輝かしいものに変えるためにも生きる意味について考えてください。
生きる意味を考えると、幸せとは何か?という疑問にぶつかります。
幸せだと感じる瞬間はどんなときでしょうか。
美味しいものを食べたとき。
プレゼントをもらったとき。
お金持ちになれたとき。
結婚したとき。
新しい家族が出来たとき。
新しい家をたてたとき。
人に認められたと感じたとき。
・・・
数え上げればキリがないほどあるようです。
でもそんな幸せは長続きしないこともわかっています。なぜ幸せは永遠に続かないのでしょうか。
新しい家も時間が経てば古くなり、病気で美味しいものが食べられなくなったり。
お金も財産もいつなくなってしまうか、不安に思ったり・・・。
こうした幸せは本当の幸せなのでしょうか。
生きがい、生きる目的、生きる意味について深く考えていないと感じます。
本当の幸せとは、生きることの意味について考えてみませんか。
今まで幸せだと感じてきたことは、相対的な幸せではないでしょうか。いつかなくなるもの、一瞬で過ぎ去るもの、いつなくなってしまうのかという不安と表裏一体になった幸せです。
こうした幸せとは別に、絶対的な幸せは存在するのでしょうか。
決してなくならないもの。躍り上がるような幸せ。不安とは無縁の幸せとは?
生きる意味について考えることで、この絶対的幸せにつながるヒントがみつかるかもしれません。
「なぜ生まれてきたのか」
「死ぬとはどういうことなのか」
「人生の意味とは?」
答えは必ずあるはずです。